・・・ふながた山のブナのことならおもしろい。ふながた山は大きな山だ。
保野川はふながた山から出てくる。ふながた山は一年のうち大ていの日は
つめたい霧か雲かを吸ったり吐いたりしてゐる。まはりもみんな青黒いなまこや
海坊主のやうな山だ。山のなかごろに大きな洞穴ががらんとあいてゐる。
そこから保野川がいきなり二百尺ぐらゐの滝になってひのきやいたやの
しげみの中をごうと落ちて来る。それがふながた山の色麻大滝だ。
ふながた山
宮沢賢治のパクリから始まりましたが、残雪の上にテントを張り泊まりで4日〜5日と行って来た、
小荒沢源頭ブナ平の周辺は、宮沢賢治の「なめとこ山の熊」をいつも思い浮かべる場所なのです。
ブナの森
・・・むかし、熊がごちゃごちゃ居たさうな、なめとこ山のへんに熊捕り名人の「小十郎」という、
赤黒いごりごりしたおやぢがいた。小十郎はなめとこ山あたりの熊を片っ端から捕った
のだけれど、熊どもは小十郎をすきなのだ。でも鉄砲をこっちへ構へることはあんまり
すきではなかったので、大ていの熊は迷惑さうに手をふってそんなことをされるのは断った。
けれども熊もいろいろだから気の烈しいやつならごうごう咆えて小十郎へかかって行く。
そうすれば小十郎にズドンとやられて死んでしまふ。
そうしたら小十郎はそばへ寄って来て「熊、おれはてまへを憎くて殺したのでねえんだぞ。
ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても
誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしてるんだ。てめへも熊に生まれたが因果なら
おれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生まれんなよ。」と云ふのだった。
てんと
夜半から、ごうごうと強い風の吹く音が聞こえはじめましたが、テントがゆれることは
ありませんでした。花染山の稜線が風をうまくかわしてくれるのでしょう。
風が当たらず三方の斜面から土に浸み込んだ養分が集まるこの場所は、ブナにとっては
最高の地形なのでしょう。一番良い場所には胸高周り5mになろうかとする大きなブナが
僕らのテン場を見おろしているのです。
月夜
未明には風が収まりブナの樹間から、半月を望むことができました。
そして、月明かりと雪明りを頼りにテン場のすぐ脇の尾根に登ってみました。
夜の尾根
・・・小十郎はもう熊の言葉だってわかるやうな気がした。小十郎はある夜、母親と
やっと一歳になるかならないやうな子熊と二匹丁度人が額に手をあてて遠くを眺める
といったふうに淡い六日の月光の中を向ふの谷をしげしげ見つめてゐるのにあった。
熊のからだから後光が射すやうに思へてまるで立ち止まってそっちを見つめてゐたら
子熊が甘えるやうに云ったのだ。
「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなってゐるんだもの。
 どうしても雪だよ。 おっかさん。」
すると母親の熊はまだしげしげと見つめてゐたがやっと云った。
「雪でないよ、あすこへだけ降る筈がないんだもの。」
子熊はまた云った。
「だから溶けないで残ったのでせう。」
「いいえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです。」
月の光が青白く山の斜面を滑ってゐた。しばらくたって小熊が云った。
「雪でなけぁ霜だねえ。きっとさうだ。」
ほんたうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの色だってまるで氷のやうだった、
小十郎はそう思った。
「おかあさまはわかったよ、あれはねえ、ひきざくらの花。」
「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ。」
「いいえ、お前まだ見たことありません。」
「知ってるよ、僕この前とって来たもの。」
「いいえ、あれひきざくらでありあません、お前とってきたのきささげの花でせう。」
「さうだらうか。」子熊はとぼけたやうに答へました。

ここらへんの、ふながた山あたりの熊も、こんな尾根から向こう側を見つめて、
こんな話をしているのでしょうね。


朝日
花染山の稜線に朝日が当たり、示し合わせたように小鳥のさえずりが賑やかになって来ました。

朝めし
今朝の山めしは、和風で。

花染山
朝食後、手ぶらでブラブラと花染山まで散歩に行って来ました。
一昨年は左の茂みに熊がいたんだよねえ、とか、僕らにびっくりしたカモシカが転げるように
すっ飛んでいったよねえ、などと話しながら全く緊張感のない山歩きを楽しみました。


熊の足跡
尾根から小荒沢へ向かって行く熊の足跡が残っていました。
昨日の夕方くらいの足跡のようです。尾根の上から丁度人が額に手をあてて
遠くを眺めるように僕らのテントの灯りを眺めていたのかも知れませんね。

・・・豪儀な小十郎も町へ熊の皮と胆を売りに行くときはみじめだった。
こずるい荒物屋の旦那に安く買い叩かれ、実に安いことは小十郎も知ってゐた。
こんな風だったから熊どもは殺してはゐても決して憎んではゐなかったのだ。
ある年の夏、小十郎は鉄砲をつきつけた熊から問われる。
「おまへは何がほしくておれを殺すんだ。」
「ああ、おれはお前の毛皮と胆のほかはなんにもいらない。ひどく高く売れると
云ふのではないしほんたうに気の毒だけれど仕方ない。けれどもお前に今ごろ
そんなことを云はれるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食ってゐてそれで
死ぬならおれも死んでもいいやうな気がするよ。」
その熊は、「二年ばかり待って呉れ、二年目にはおまへの家の前でちゃんと
死んでゐてやる。」と云い、小十郎は変な気がしてぼんやり立って鉄砲を射たなかった。
ちょうど二年目の朝、約束とおり熊は小十郎の家の前で倒れてゐた。
小十郎は思はず拝むやうにした。

そして、生まれて初めて猟に出るのが嫌んたような気がした日、小十郎は熊に殺されてしまう。
その熊は鉄砲を射っても少しも倒れないで嵐のやうに黒くゆらいでやってきた。
小十郎はがあんと頭がなってまはりがいちめんまっ青になった。
それから遠くでこう云ふことばを聞いた。
「おお小十郎おまへを殺すつもりはなかった。」
ちらちらちらちら青い星のやうな光がそこらいちめんに見えた。
「これが死んだしるしだ。熊どもゆるせよ。」と思ひながら小十郎は死んだ。
とにかくそれから、まるで氷の玉のやうな月がかかってゐた三日目の晩だった。
白い雪の峯々にかこまれた山の上の平に黒い大きなものがたくさん環になって集まり、
じっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。
いちばん高いところに小十郎の死骸が半分座ったように置かれてゐた。
思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きているときのやうに
冴え冴えして何か笑ってゐるやうにさへ見えたのだ。ほんたうにそれらの大きな黒いものは
参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したやうにうごかなかった。


いわうちわ
「何もしない山行」と銘打ったこの山遊び。
気のあった仲間と酒を飲みメシを食い語り合い笑いあい、それだけ。
山登りらしいことは本当に何もしませんでした。
ふと会話が途切れたとき、何かでひとりになったとき、僕はずっと「なめとこ山の熊」の
ひとつひとつのフレーズを思いだしていました。そんなことを考えるのには、
この場所がちょうどいい。

 


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