船形山神社へ禊ぎ参拝の便り

平成25年3月9日、ようやく船形山神社へ参拝に行ってくることが出来ました。
ここのところ毎年正月に参拝しているのですが、今年は諸般の事情により、まだだったのです。
ようやく行けたって言うのには訳がありまして、実は2月初旬に原因不明の首痛というバチ
が当たっていたのです。
捻ったとか無理に曲げたとか、そういった事には思い当たるふしは無いのですが、
バチが当たったって事については、思い当たるふしがいくつかある訳です。
当然、病院に行っても整骨院に行っても良くなる兆しは見えないのですが、過去に
病院で治らなかった膝痛を神社に通って治した経験が僕にはあるのです。
今回は、升沢まで通うのは厳しいので、麓の石神山精神社にお参りして、升沢の権現様に
伝えてほしいとお願いしていたのです。
嘘のような話ですが、お参り3日目にほとんど痛みが無くなりましたよ。(医院の先生もびっくり!)

そんなこんなで、ずっと懸案であった升沢の船形山神社への禊ぎ参拝がようやっと行けた
って訳です。
神社遠景

船形山神社は、由緒「奥羽観跡聞老誌に反正帝の時之を建つ郷人船形権現と称す」
とあります。要するに反正天皇の時代(336〜410年)に建てられ船形権現と呼ばれていた、
ということです。本当はもっと後に建てられたのでしょうが・・・。
平安時代から山岳信仰の場として参詣されましたが、鎌倉時代に一時衰退したと伝え
られています。その後、文禄3年(1594年)伊達政宗によって再興され、明治に至って
船形神社と改められました。明治32年10月2日に小栗山の船形神社と紛らわしい為、
山の一字を加え船形山(ふながたさん)神社の社号となったものです。
祭神は保食神(うけもちのかみ)食物をつかさどる農業神で、名前を「玉依姫命(たまよりひめ
のみこと)」と言います。その他の詳しい話は省きますが、集落のハヤマ信仰の場であり、
修験の場であったということが伺われます。

今回はバチを祓うという禊ぎ参拝なので、今までになく古式修験の作法に則り行うこととしました。
境内の小川
まずは、水垢離であります。寛文6年の棟札に見ますと、「参拝者は先ず境内の小川に入り
水垢離した後登山祭典に参加するを例とした」とあります。

−−−水垢離の前にこの小川に纏わる伝説をひとつ。−−−
女神が追われ追われてある山の麓に来る(一説には多賀城の南宮の色ノ御前社から逃げて
来た、というのもあります)すると農夫がこの小川のほとりでフネ(升?臼?)を彫っていた。
女神から助けて欲しいと乞われたので、フネを覆してかくまった。追っ手が去ったあとフネを
開くと女神は黄金色の菩薩さまとなっていた。農夫はそれを御升沢権現として升沢山に祠を
建てて祀った。これが今の船形山神社の始まりという。


さて、水垢離でありますが・・・どうすればいいの?

怪しげではありますが、ある書物から水垢離の描写をみつけました。
水垢離
左肩から、次に右肩、再度左肩を浴びる。
唱え言葉は、
「大川(だいがわ)ニハ大水神 小川(しょうがわ)ニハ小水神
 大事小事の袈裟ニナル 我ガ身ニ三度浴ビセ給エ
 祓イ給エ 清メ給エ」
これを三回繰り返す。
本来は、一糸纏わぬ裸で行うのですが、ここはまあ堅いこと言わないで、ってことで・・・。

身体を清めたところで、山上の神社へと向かいます。
参道と
修験の場であっただけにかなりの急斜面で、雪崩の不安もありますから慎重に登りました。
右上のほうに「お駒石」が見えています。この石は昔、お駒という女性が女人禁制を破り
山上へ至ろうとして石になったという伝説が残っています。今でも護摩を焚く石の台座が
残されています。
鳥居から標高差約120mを40分かけて、くされ雪のラッセルの末、山上へ到着しました。
薬師堂と神社
山上の社地にたどり着いてみれば、樹齢数百年と思われる杉の大木が2本切り倒されて
いました。風倒したのか、何故なのかは分かりませんが暖かくなったら、年輪を数えに来て
見ようと思いました。大崎八幡神社や瑞巌寺にあるような杉の大木と同じ位の太さだと思います。

ここでも、自分の言葉で自分の想いで拝することが大切なのは言うまでもありませんが、
その前に、宮城県神社庁のご推薦の神拝詞(となえことば)で参拝することにしましょう。
「この神社に鎮まります大神を始め 八百万神々等
 祓い給え 清め給え 守り給え 幸(さきわ)へ給え」

さらに、山の神様への呪文。マタギが、けぼかい(くまの解体)前に唱える山の神様に感謝
する唱え言葉として知られてていますが、修験や御祓いの婆様、神頼みの爺様にとっては、
何にでも効力のある、万能呪文とも言われているらしいです。
「阿毘羅吽欠裟婆呵」(あぶらうんけんそわか)
*正確には(あびら・・・・)と言うらしいのですが、東北では訛って(あぶら・・・)と言う?


・・・これで大丈夫かなあ?心をこめて自分の思いもちゃんと伝えました。

帰り道は、裏参道を下ることにしました。登って来た南面の急斜面はいつ雪崩てもおかしくない
雪の具合で、とても下山に使う気はしませんでした。このまま尾根沿いに旗坂平経由という手も
あるのですが、北側の斜面は雪もしっかり付いていて心配ないし、まだ歩いたことの無い部分でも
あるからです。勝手に裏参道って言ってるだけですけど・・・。
裏参道
大きく回りこんでやや急な下りを終えると、ほとんど歩く人はいないと思われる、広々とした
開放感のある素敵な感じのブナ林が出迎えてくれました。
今度スキー持ってこようと思いました。山スキーの練習には最適な斜面です。

しかし、神社直下の急斜面(東側に当たる)に目を向ければ・・・
雪崩跡
小規模ではありますが、この界隈では珍しい雪崩らしい雪崩の跡が・・・。

神社参道と鳥居
(この写真は、今年の1月に護摩堂からのものです)

こうして、僕の禊ぎ参拝は終わりました。風は強かったものの、山上以外はさほど
気にならなかったし、早春の日差しと残雪の感触を味わいながらの半日はとても
心が満たされた時間でありました。

まあ、最初からバチ当たりな事しなきゃいいじゃない!ってご意見もあることでしょうが、
それを言っちゃあおしまいよ。

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