船形山からモリアオガエル大合唱の便り

7月20日、久しぶりに鏡ケ池に行ってきました。15日の日曜日は、造林地の除伐という重労働だったので、今日はのんびりと歩くことにしたのです。朝もけっこうゆっくりして7:00過ぎにに家を出て、大滝キャンプ場に着いたのが8:30頃だったでしょうか。車から降り前回の除伐作業地の荒廃ぶりとはまったく違うブナの巨木の中でまたまたゆっくりしてしまいました。登山道を歩き始めるとすぐに梅雨明けの青空の下、船形山の山頂がきれいに見えています。いつものようにストックの代わりに火バサミを持ってゴミを拾いながら歩きますが、このコースも以前から比べるとゴミはだいぶ少なくなってきたようですが、所々タバコの吸殻が落ちています。吸殻は同じ銘柄のもので、おそらく同じ人なのでしょうが、ある一定の距離ごとに落ちています。ポケットからたまたま落ちてしまったような飴の小さな袋なんかと違って、これは無神経に捨てたとしか思えず、こんな人はどこでもかまわずゴミを捨てるんだろうなあ、自分の子供が道路にゴミを捨てても注意しないのだろうか?なんてことを考えてしまいます。そんなことを思いながら歩くこと30分、小野田コースの分岐点です。太いブナの懐に抱かれ、一服します。すごく暑くてTシャツもぐしょり濡れて、額からはまさに滝のような汗が・・・。

分岐点からおよそ10分くらいで、鏡ケ池につきます。ここは火山湖といわれており、大滝川の水源になっていますが、落ち口の沢がありません。入り込む沢も夏場は水が枯れていますが、この沼の水が枯れることはありません。伏流水でつながっているのでしょう。ブナの間から見る鏡ケ池は、奥山の神秘的な雰囲気を持っています。ガスがかかっているときなどなおさらです。
水辺まで道がついていて、ちょっとした岬のようになっているところがあります。そこに立つと沼のまわりからモリアオガエルの合唱を聞くことが出来ます。水の中にはアカハライモリがのんびりと泳いでいます。モリアオガエルはアオガエル科に属する日本固有の種で樹上生活をして、産卵期には樹の枝に卵隗を産みつける習性があるのはよく知られています。樹の枝で孵化し、小さなオタマジャクシが枝から水面に落ちていくのですが、それを狙ってイモリが下で待ちかまえます。その様子を暫く眺めていたことがありますが、弱肉強食、食物連鎖の世界を垣間見る思いでした。

さすがに水辺だけあって、水面を渡る風が本当に心地よいので、腰を落ち着けてしまいました。何も考えないでボーっとしていたら、私の人間としての気配が無くなって来たのか、先ほどより一段とモリアオガエルの合唱団の声が高くなってきたようです。里で聞くカエルの鳴き声と違って、ちょっと音程が高くリズミカルにカスタネットを打つような感じです。演奏はブナの森の風の音、バックコーラスに鳥のさえずりといった具合で、もう最高の気分です。何も考えない時間、しかもこの世界を独り占めというのは、どんなに高いお金を払っても手に入れることが出来ないのですよね。もしかしたら自分が日本で一番幸せなんじゃあないかと思えてきます。こんな幸福感を与えてくれるブナの森に感謝・感謝です。

せっかく良い気分で船形山を楽しんでいましたが、山頂の小屋で一人の登山者によって、いやな現実の世界に引き戻されてしまいました。小屋の消火器にポリ袋が引っ掛けてあったので、忘れ物か又は何か役立つものを誰かが置いていったのかと思って見てみたら、ウイスキーの空き瓶と食べ物のゴミでした。この人はここで酒を飲み、一人?で幸せな気分に浸っていたのでしょうが、皆さんどう思います?こんな人は、本当の幸せものにはなれませんよね。山の神様が許さないよ、きっと・・・。


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